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2020.9.6 週末おむすびチャンネル vol.17

詩ってなんだろ?<フランス詩に撃沈編> 週末おむすびチャンネル vol.17

これまであまり触れてこなかった詩の世界。詩って、一体なんだろう。もっと詩を知りたい。そんな思いから詩の扉をたたいてみました。

今回は、週末おむすびチャンネルvol.13で読んだ『のどがかわいた』(大阿久佳乃 著/岬書店)に導かれ、本の中で紹介されていたフランスの詩人の詩を読んでみることに。ところが……

 

【読んでみた詩集】

梅▶︎『世界の詩59 エリュアール詩集』(山崎栄治 訳/彌生書房)

(詩との関わり…ごくたまに読む程度。詩人のエッセイや詩について書かれた入門書を読むのが好き)

鮭▶︎『フランシス・ジャム詩集』(手塚伸一 訳/岩波書店)

(詩との関わり…最近10年ぶりくらいに詩集を購入。ことば遊びを楽しんだりリズミカルな詩が好き)

 

梅:今回は、『のどがかわいた』で紹介されていた詩人の詩を実際に読んでみようっていうことで、読んでみたんだけど……ハードルが高かったよ。

 

鮭:偶然だけど、二人ともフランスの詩人を選んだね。

 

梅:そう、私はポール・エリュアールで。

 

鮭:私はフランシス・ジャム。私これまで詩をあまり読んでこなかったし、ましてや海外の詩集をしっかり読んだの初めてかもしれない。

 

梅:私もそう。途中まで読んで、これはやばいと思って鮭にLINEしたけど、エリュアールが難しくてね……私、詩がこんなに読めないものだとは思わなかったよ。

 

鮭:ジャムはなんだろう、表現はシンプルなんだけど、情景や心情を理解するのに時間がかかっちゃった。詩集って余白も多いし、すぐ読めるだろうと思ってたんだけど……。

 

梅:詩のこと、全然わかってなかったわ。

 

鮭:余白を甘くみてた。

 

梅:もうね、エリュアールは何を言っているのか、イメージすら湧かなくて。私が読んだ詩集には、最初のほうに「牝牛」っていうタイトルの詩が載っててね、その出だしが「ひとは牝牛をつれてゆかない、/丸坊主の、かさかさの草はらには、/愛撫のない草はらには。」とあって…ちょっとわかんないな…って。

鮭:ふふ、なるほど。

 

梅:何がわかんないかも、わかんない。

 

鮭:そもそも、梅はなんでエリュアールを選んだんだっけ?

 

梅:『のどがかわいた』で、エリュアールの詩について著者の大阿久佳乃さんが「読み終えた頃、自分が言葉の閉塞感から解き放たれていることにふと気づく」って書いていてあって、そこに興味を持ったんだよね。

 

鮭:うんうん。

 

梅:でも詩集を読んで私が興味を持てたのは、結局エリュアールの詩そのものよりも、その周辺のことだったよ。例えば、第一次世界大戦の従軍中に詩集を作って、知人に郵送したっていうエピソードとか、第二次世界大戦中、エリュアールの「自由」っていう詩をイギリス軍がフランスの街に空から撒いたとか。ダダイズムとかシュールレアリスムにも傾倒していて、ピカソやシャガールとも親交があったみたいで。そういう背景が巻末の訳註に書いてあって、そこだけはおもしろく読んでたな……。

 

鮭:詩じゃなくて活動の方に興味があったんだね。

 

梅:そうなの。たまに意味がわかる詩もあって、例えば「飢餓の手に育てられて」という詩は「飢餓の手に育てられて/子供は何をきかれてもまんま/抱っこと言われてもまんま/ねんねと言われてもまんま。」こういう直接的に書いている詩は、読んで、切なく感じたりするんだけど……。

 

鮭:そういう詩もあるんだ。

 

梅:うん。でも、ああ……って思うだけで、この詩が好きかというとよくわからない。私、『思索の淵にて 詩と哲学のデュオ』(茨木のり子・長谷川宏 著/河出書房新社)という本を持っているんだけど、この本の中で、茨木のり子さんがこれまで読んだ詩で一番好きな詩を一遍あげていて、それがポール・エリュアールだったんだよね。「歳をとる それは青春を/歳月のなかで組織することだ」(大岡信 訳)って詩の一節を引用していたの。

 

鮭:へえ、すごい!

 

梅:この本を読んだのがずいぶん前で、ポール・エリュアールの名前もすっかり忘れてたけど。勝手な解釈だけど、茨木のり子さんは詩で戦争体験に触れたり、政治批判をする詩も書いてるよね。自分の内面を掘り下げるだけじゃなくて社会に言及するという点で二人は共通するものがあるのかな。でも、茨木のり子は好きなんだけど、なんでエリュアールはこんなにわかんないんだろ。

 

鮭:ほんとなんでなんだろうね。

 

梅:鮭は、なんでフランシス・ジャムを読んでみようと思ったんだっけ?

 

鮭:『のどがかわいた』で引用されてた「秋が来た」っていう詩がいいなあと思ったの。「しかし又世の中には薔薇の花のような恋人もいるし/(中略)/又サラダ畠に横たわって、理解のできない大きな死の近づくのを/悲しげに見つめている病気の犬もある。/こういうものがすべて上下共々ごっちゃになり、/優しい事に痛ましい事がつづいて、/難しい顔をした人間が「人生」と称するものを形作っているのだ。」(三好達治 訳) なんかこう、奇をてらわないというか、世界をまるごと表現している感じがしていいなって。あと、大阿久さんが「彼の詩は、言葉と詩人とのあいだを伝達する何か(=意味?)の速度が速い」と書いていてどんな感じなんだろうって興味を持ったんだ。

梅:フランシス・ジャムはいつぐらいの時代の人なの?

 

鮭:1868年生まれってある。

 

梅:エリュアールが1895年生まれだから、30歳くらい上の世代なんだ。

 

鮭:今回私が読んだ『フランシス・ジャム詩集』(岩波書店)の解説によると、19世紀末のフランスの詩人たちは、独創性を追求しすぎて「活力を失った空虚で晦渋な詩が目立つように」なってたんだって。

 

梅:その説明がもう難しい!

 

鮭:きっと難解な詩が流行ってたんだよね。フランシス・ジャムはそんな時代に、ピレネーの麓で暮らしていて、山から、自然を讃える素朴な詩を引っ提げてやってきて。

 

梅:土の匂いがするような。

 

鮭:そうそう。牧歌的でアルプスの少女ハイジみたいな世界。自然とともに暮らして、小鳥や動植物を愛でてっていうその感じは好き。ありのままを書いてるから全く理解できないってことはないし、「秋が来た」みたいにいいなって思う詩もあったんだけど、全体的にいまいち気持ちが詩に追いつかなかった。まだ私には早かったのかもしれない……。あとなんかこうどの詩にも神の存在を感じるというか、眩しかった。実際30代でカトリックに入信してるみたいなんだけど。

 

梅:ああ、信仰の要素が。

 

鮭:若い頃は失恋で苦悩してたりするんだけどそれさえも神々しくて美しい。そんな印象だった。ジャムの詩って、自然を対象としている感じが宮沢賢治と似ているなと思ったんだけど、でも何かが違って。宮沢賢治の方がもっと独特の表現をしているけど、こう、親しみがもてる感じがする。やっぱり文化とか宗教観の違いなのかなあ。でもそれだけでもないような……うーん、うまく言語化できない。

 

梅:そう、詩について語ろうとしても、言語化ができないんだよね。どの角度から語ればいいんだろう。

 

鮭:原文だったらもっと読みやすいのかなあ。今回読んだのは和訳だから、それでフィルターが1枚かかるような気もする。

 

梅:うん、外国の詩って訳文がめちゃくちゃ大事だよね。私もポール・エリュアールがあまりにわかんないからさ、失礼ながら何度も「ほんとにそう書いてあるんですよね?」って思っちゃった。

 

鮭:ジャムも例えば「おお、ぼくを愛せ。」っていうフレーズ、これ原文では「oh」って書いてあったのかなって思ったり。なんか「おお」って出てくると共感できなくなっちゃうっていうか。

 

梅:あるある!エリュアールも「おお ぼくの友達」って。

 

鮭:「おお」って、ねえ。

 

梅:馴染みがないもんね。でも私、三好達治の詩集を持ってるんだけど、日本語で書かれていても、あんまり入ってこなかったよ。ちらっと読んで積ん読になっちゃった。三好達治もフランシス・ジャムや宮沢賢治みたいに自然を愛でてた人だよね。

 

鮭:あ、そうそう。フランシス・ジャムは三好達治にも影響を与えていたみたい。

 

梅:ちょっと三好達治の詩集をめくってみるけど、例えば「チューリップ」っていう短い詩がある。「蜂の羽音が/チューリップの花に消える/微風の中にひっそりと/客を迎えた赤い部屋」。1行目、わかる。2行目も、蜂が花の中に入ったってわかる。3行目も、緩やかな風が吹いてて、羽音が静かになった情景が浮かぶ。4行目、急に部屋が出てくるの、わかんない!

 

鮭:あ、それチューリップの中にいるってこと?

 

梅:あ!そういうこと? 赤い部屋がチューリップのことか。

 

鮭:そういうことじゃない?

 

梅:花の中に蜂を迎えた情景を描いたのか。そうか、そう思うとかわいいね。

 

鮭:その詩結構好きかも! でも詩ってこういうふうに、1行1行、これわかる、これわかんない、ってやってると全然進まないよね。それが難しい。1行の密度が濃い。

 

梅:同世代の人の詩だとまた違うのかと思って、私、最近買った高橋久美子さんの詩集『今夜 凶暴だから わたし』(ちいさいミシマ社)をもう一回読んでみたのよ。

 

鮭:あ、愛媛の本屋さんで注文したって言ってた本。

 

梅:そうそう。私、高橋久美子さんと同い年で、もともと高橋さんがメンバーだったチャットモンチー(注:ロックバンド、2018年解散)が好きで、アルバムを買ったりライブに行ったりしてたから、身近に感じている人ではあるんだよね。

鮭:その本、装丁が可愛いね。

 

梅:そう、詩画集なんだけど、濱愛子さんの絵が詩の世界を深めていて、詩と絵をセットで読み進めている感覚が気持ちよかったよ。

 

鮭:面白かった?

 

梅:もともと好感を持っている人が、今どんなことを感じて、詩に表してるんだろうって興味があったから、そういう意味で面白く読んだかなあ。例えば「水」という詩に「台風の日みたいに私は眠れない/いつだって初めてのように/全部 覚えてたい」っていう一節があって、内面の欲望が素直に表現されているというか。でも、これは何のことを言ってるんだろう?っていう部分もあって詰まっちゃう。想像して読むのが苦手ってことなのかなあ。鮭は最近買った詩集が多和田葉子さんだっけ?

 

鮭:そう。『シュタイネ』(青土社)。この詩集は言葉遊びを楽しむような詩で。偶然本屋さんで見かけていいなと思って買ったんだけど、こういう、単語同志が見たこともないような並びで書かれてる詩好きだな。知らない景色が広がる感じ。例えばこの詩集の中で一番好きな詩は、「如雨露を傾け/句読点をふりかけたら/ゼラニウム/小雨が降り出した/向かいのバルコニーにたった老人が/こちらを指さして/笑っている」って始まるの。じょうろの水を句読点って表現するなんて、想像したことなかった。なんてオツなんだろうって!

梅:うん、いいね!

 

鮭:続きがあってね、「雨の中で花に水をやる人/意味がないという意味の四文字熟語に/雨天水人/なりたくない/やめられない/何をしても何もしていなくても/青々と育つんだよ原稿は/天気を見ないで推敲する/雨でもどんどん水をやれ/一人で書いているわけじゃない/雲が重ね書きする/秋がふるいにかける」あ、原稿を書く話だったんだ!って。情景がベランダから急に手元の原稿に移るの。言葉をじょうろの水と雨に例えてたんだって思ったり。

 

梅:うん。確かに。

 

鮭:ちょっと意味がわからない詩もあるけど、でも新しい視点をもたらしてくれる感じがしてどれも好きだったな。フランシス・ジャムとは詩の種類が全然違うけど、でも何がどう違うんだろう。

 

梅:もっと詩について言葉にできるようになりたいね。わからない詩もあるんだけど、それで終わらせたくないというか……詩って、物事の本質をついてるところがあるじゃない? 詩の表現を通して、本質をもっと知りたいって気持ちはある。

 

鮭:あるある。詩をもっとわかるようになりたい。考えていきたいね。

 

梅:岩波ジュニア新書の『詩のこころを読む』とか、詩について書かれた文章は大好きなんだけどなあ。詩をもっと読んで、もっと詩の世界に近づきたいよ。

 

鮭:今度は、一緒に同じ詩集を読んでみるのはどうかな。私、今回あまりに詩がわからなかったから、『特選 小さな名詩集』っていう本を買ってみたの。

 

梅:確かに、そうやってまずいろんな詩が載ってるアンソロジーを読むのがいいのかも。

 

鮭:それで、これは好き、これはわかんないって探ってみようか。

 

梅:うん、次はそれでやってみよう。

 

投稿者: おむすびブックス

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