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2020.9.26 週末おむすびチャンネル vol.20

『蜜蜂と遠雷』音楽描写を語ろう編 週末おむすびチャンネル vol.20

2016年に刊行された『蜜蜂と遠雷』は、本屋大賞・直木賞をダブル受賞、さらに昨年は映画も話題となりました。本作は国際ピアノコンクールを舞台にした群像劇であり、4人の若き演奏家を軸に物語が進んでいきます。

この小説はストーリーの面白さもさることながら、4人の奏でるピアノの音楽描写が魅力的。今回は、子ども時代にピアノを習っていた梅・鮭が『蜜蜂と遠雷』で印象に残った音楽描写を3つずつ選び、語り合いました。

 ※結末には触れていませんが、ストーリーの展開がわかる箇所があります。ネタバレが気になる方は、物語を読み終わってからお楽しみください。

 

梅…ピアノ歴12年(3歳~15歳くらい)。コンクールは大の苦手で、上手に弾けた記憶がない。今はYoutubeでストリートピアノの動画を楽しんでいる。

鮭…ピアノ歴15年(3歳〜18歳)。練習は嫌いだったが先生が好きでなんとか続けた。好きな作曲家はドビュッシー。

 

コンクールに挑む4人の登場人物
栄伝亜夜…20歳の音大生。かつて天才少女としてデビューしたものの、母親の死をきっかけに表舞台から去っていた。
高島明石…妻と息子と暮らす楽器店勤務のサラリーマン。年齢制限ぎりぎりの28歳で、「最後のチャンス」とコンクールに挑む。
風間塵…16歳。養蜂家の息子で、世界を旅する生活を送る。伝説の音楽家ホフマンに才能を見出された。
マサル・カルロス・レヴィ・アナトール…ジュリアード音楽院に通う19歳。今回のコンクールの大本命とされる。

 
梅:改めて読むと『蜜蜂と遠雷』は音楽描写がほんとに多彩で、1曲1曲が全然違う。それで、音楽描写って誰の視点なのかによって語り方が変わるよね。その楽曲を語ってるのが審査員なのか、弾いてる本人なのか、別のピアニストなのか。

 

鮭:それ、すごくわかる!

 

梅:今回は私と鮭で好きな音楽描写を3曲ずつ選ぼうってことだったけど、迷ったなあ。

 

鮭:全然かぶってなかったね。意外だった。

 

梅の1曲目▶︎ショスタコーヴィチ ソナタ/栄伝亜夜

 

梅:じゃあストーリー順に話していこうか。私はまず選んだのが、コンクールの場面じゃないんだけど、物語の冒頭で高校生の亜夜が弾いた、ショスタコーヴィチのソナタ。この曲をのちにお世話になる音大の浜崎先生の前で弾くんだよね。先生に何を考えながら弾いていたのかって聞かれて、亜夜は韓国映画で観た、スイカが転がり落ちるシーンが目に浮かんだって答える。

<ねえ、この曲、スイカが坂道を転げ落ちていくような気がしません? 時々、一個か二個、スイカに追いついてつかまえる場面があるでしょ? あとのほうで、割れたスイカを片付ける場面もあります。>

この頃の亜夜は誰にもピアノを教わってなくて、自己流で弾いていたんだけど、面白いたとえだなと思って。ここを読んだ時、「おっいいぞ」って、この物語に対するすごくいい予感がしたんだよね。

 

鮭:私、そこを読んで漫画の「のだめカンタービレ」を思い出したよ。のだめも弾きながら森の愉快な仲間たちを想像したり、身近なものをイメージしながら曲を弾いてたなって。

 

梅:クラシックってそうやって楽しめばいいんだって思えるよね。実際にショスタコーヴィチのソナタを聴いてみて、なるほど!と思った。逆にこの描写を読まずに聴いたら、不穏なメロディにしか思えなくて良さがよくわからなかっただろうな。それにしても亜夜はこの曲を耳で覚えてるんだよね。楽譜が高くて買えないから聴いて覚えて、それで暗譜で演奏した。すでに天才!亜夜の音楽に対する非凡さを感じさせるんだけど、亜夜の才能はこんなもんじゃなかった…。

 

鮭:コンクールを通して亜夜がどんどん進化していく姿は見どころのひとつだったね。

 

梅の2曲目▶︎ベートーベン「ピアノ・ソナタ 第三番ハ長調 Op.2-3」第一楽章/高島明石

 

梅:次に選んだのが、明石の一次予選の演奏。明石の妻の視点で描写してるんだけど、妻の満智子はピアノに関しては素人だから、こちら側に近いというか、描写に親しみを持てるんだよね。あと、夫を応援するあたたかい視点があっていいなあと思って。

<明石の音は、違う。同じピアノなのに、さっきの人とは全然違う。

 明快で、穏やかで、しっとりしている。活き活きとした表情がある。

 やはり、音楽というのは人間性なのだ。この音は、あたしの知っている明石の人柄がそのまんま表れている。明石という人の包容力の大きさが、音に、響きに宿っている。>

この描写で明石の人柄も伝わってくるよね。

 

鮭:私、最初に『蜜蜂と遠雷』を読んだ時、明石に一番好感を持ったよ。音楽のエリートがたくさん出てくるなかで、明石はいわゆる一般人の感覚で「生活者の音楽」を追求してるところがよくて。

 

梅:うん、応援したくなるよね。一次予選は3曲弾くことになってるけど、明石の2曲目がベートーヴェンのソナタ。満智子は昔、明石のソナタを聴いてもピンと来なくて「曲のための曲って感じだよね」って明石に言うんだよね。これは私もほんとに同感なんだけど、ピアノをやっていたころ、ソナタって盛り上がりに欠けるというか、弾いてても感情の置きどころがよくわかんなくて。でも、コンクールで明石の弾くソナタを聴いた満智子は、こんなふうに語ってる。

<今、明石の指先から聞こえてくるベートーヴェンは、フレーズのひとつひとつが有機的に繋がり合い、何かを訴えかけてくる。

 そう、明石のピアノには説得力があるのだ。今のあたしには、ベートーヴェンが何を言いたいのかほんの少しだけ分かるような気がする。>

明石には仕事があって家族もいて、コンクールにかけられる時間もお金も限られてる。それでも、できることを地道にやって、ついに妻にこんなふうに語らせるところにまで達したんだ、と思って。饒舌に描写してるわけじゃないんだけど、明石の確かな音楽性が伝わってきてよかったな。

 

鮭:物語の最後のほうで事務局から明石に電話がかかってくるシーンがあったけど、あそこもすごくよかった。2回読んで、2回とも泣いちゃった。

 

梅:わかる!私もそこは興奮しながら読んでたわ。

 

鮭の1曲目▶︎︎「春と修羅」※コンクールのためのオリジナル曲/風間塵

 

鮭:私はまず風間塵の「春と修羅」。

 

梅:二次予選の「春と修羅」は、演奏者が即興で弾くところがあるんだよね。架空の曲だから実際にどんなだったかは確認できないし、想像が膨らむよね。

 

鮭:みんないろんな表現を模索するなかで、風間塵の「春と修羅」は、最初シンプルなんだよね。<日常生活。いつもの散歩道。窓をあけ、一日は始まる。>さっきのスイカじゃないけど、情景もイメージしやすくて。それが、即興のカデンツァに入ったら一変するの。

<風間塵の紡ぎ出したカデンツァは、すこぶる不条理なまでに残虐で、凶暴性を帯びていたのである。

 聴いているのがつらい、胸に突き刺さる、おぞましく耳障りなトレモロ。執拗な低音部での和音。

 甲高い悲鳴、低い地響き、荒れ狂う風。敵意を剥き出しにした、抗う術(すべ)もない脅威。>

この緩急の差に惹かれて。描写は客席で聴いてる明石視点なんだけど、「聴いているのがつらい」「おぞましく耳障りな」とか文字面は嫌な表現ばかりなのに、鬼気迫るものすごい演奏なんだろうなって思ったよ。

 

梅:塵の天真爛漫なキャラクターとのギャップもあって、ここは「そう来たか!」と思ったな。

 

鮭:うんうん。「春と修羅」の「修羅」を表現したんだよね。他の人は美しさを表現していたけど、養蜂家の子どもだからこそ表現できる部分でもあって。

 

梅:自然の厳しさを知っているっていう、説得力があるよね。

 

鮭:塵の演奏の最後に、<彼は大人だ。人間としても、演奏家としても。>とあるけど、ただ楽しく弾いてるだけじゃない、塵の音楽家としての深みをここで感じたな。これをまた明石が言ってるのもいいし。

 

梅:そうそう、明石は自分の「春と修羅」の演奏をすでに終えていて、複雑な思いで聴いてるんだけど、最後は塵のカデンツァにどこか喜びも感じていて。『蜜蜂と遠雷』の4人はライバルなんだけど音楽性をそれぞれが認め合っていて、演奏がお互いに影響を与え合う。この後に演奏した亜夜の「春と修羅」もよかったな。

 

鮭:そう!塵の演奏を受けての亜夜の演奏、アンサーソングみたいでほんとよかった。

 

鮭の2曲目▶︎︎バルトーク「ピアノ・ソナタ Sz.80」/マサル

 

鮭:次が、三次予選のマサルのバルトーク。これは弾いてるマサル本人の視点で描写されてるところ。

 

梅:プレイヤーだからこその解釈が興味深い。

 

鮭:マサルはピアニストでやっていくぞっていう強い意思があるから、曲をまず論理的に解釈してる。その分析が面白かった。

<バルトークは生前、ピアノは旋律楽器であるのと同時に打楽器である、と繰り返し述べている。

 普段ピアノを打楽器だと意識している人は少ないだろう。>

<そう、これは確かに太鼓を叩く喜びに近い。音の振動が身体に跳ね返る感じ、心地好いリズムを刻む快感。それは、人間の身体に染み付いた根源的な喜びだ。>

このあたりとか、なるほど、と思って。で、最初はこんなふうに最初は論理的に音楽を紐解いていくんだけど、そこからイメージの世界に入っていく。

<マサルはバルトークを弾くたびに、なぜかいつも森の匂い、草の気配を感じる。複雑な緑のグラデーションを、木の葉の先から滴る水の一粒一粒を感じる。>

論理的な世界からイメージの世界に飛ぶジャンプアップもまたよくて。

 

梅:イメージ描写が文学的だよね。森の情景も読んでいて心地いい。

 

鮭:音楽を論理的に分析した上で豊かな感性を表現するマサルの向き合い方が好きだな。

 

梅:私も音楽を通して見える景色は、ここが一番好きだった。

 

鮭:<叩く。叩く。腹の底に、森の中に響く振動。>とか、詩っぽいよね。

 

梅:もしなんの情報もなしにバルトークを聴いてたら、私の感受性では森の情景は見えないんだけど、物語を読むことでマサルというピアニストの見た景色を追体験できる。言葉によって曲への理解が深まるのは、本を読む醍醐味だなと思う。そういう体験が『蜜蜂と遠雷』にはいたるところにあったな。

 

鮭:そうそう、この表現を読んでから、バルトークのソナタを実際に聴いて、ほんとに打楽器を表現してるな、たしかに森っぽいなと。読まずに聴いたら一切そうは思わなかったと思う。

 

梅:本の中で、<プロとアマの違いは、そこに含まれる情報量の差だ。一音一音にぎっしりと哲学や世界観のようなものが詰め込まれ、なおかつみずみずしい。>と書かれているところがあるんだけど、それって受け取る方にも言える。演奏家が詰め込んだ情報を読み取る耳があったら、もっと聴くことを楽しめるんだろうな。でも『蜜蜂と遠雷』の音楽描写を通して、その耳が少し鍛えられた感じもするな。

 

鮭:私がピアノをやってた時もこんな風にイメージを膨らませることができたら、もっと弾くのが楽しかったかな。またピアノがやりたくなったよ。

 

梅:うん、わかる。私もピアノをやってた時、譜面を間違えずに弾くことで精一杯だった。別にソナタを弾かなくても、簡単な曲でいいんだよね。イメージを浮かべて弾いたら、楽しいだろうな。

 

梅の3曲目▶︎︎ブラームス「ピアノ・ソナタ 第三番へ短調 Op.5」/栄伝亜夜

 

梅:次は、三次予選の亜夜の演奏。審査員のナサニエル視点で描写されるんだけど、亜夜が、聴衆全員を引っ張っていく感じがよくて。この曲は、ブラームスが二十歳の時に作曲したピアノ・ソナタで、ナサニエルは演奏を聴きながら、当時のブラームスと同じ二十歳の亜夜の人生、ナサニエルを含めた聴衆の人生を重ねていくんだよね。その複層的な描き方が面白かったな。

<彼女は我々を代弁する—我々のこれまでの人生の軌跡を、さりげなく厳かに語り始める。>

 

鮭:ここから、亜夜の見せ場だよね。

 

梅:そう。亜夜がお母さんを亡くして表舞台から消えて、再びコンクールで覚醒して音楽的にどんどん進化していく。その亜夜の弾くブラームスに、聴衆は自分の人生を重ねて癒しのようなものを感じてる。それで圧巻なのがこの曲の第5楽章、ラストに向かって曲が盛り上がっていくところ。

<もうすぐだ。もうすぐ、私たちはとてつもなく開けた場所に出る。

 もはや後戻りはできない。昨日までの自分はもういない。

 これまでとは比べ物にならないくらいの困難が待ち受けていることだろう。しかし、これまでとは比べ物にならないくらいの歓喜もまた、どこかで私たちを待っていてくれるはずなのだ。

 私たちはそのことを知っている。誰もが確信しているのだ。これからの自分が、自分の人生に対して力強く「イエス!」と叫ぶであろうことを。>

この圧倒的な肯定感!困難なことがあっても大丈夫、人生に救いはあるって、読んでるこちら側をまるごと肯定してくれているように感じたよ。これは物語の中で描写するからこその感動なんだろうな。音楽評論家の評論を読んでも、きっとこういう感動は得られなくて。

 

鮭:亜夜の演奏を聴いたナサニエルが、音楽は不思議なものだって省みてるんだよね。

 

梅:うん、ナサニエルは、音楽は一過性のものだけど、永遠とほぼ同義って考えていて、私、これがどういうことだろうって今も引っかかってるんだよね。感覚ではわかるような気もするけど、言語化できなくて。これは今後も音楽を聴き続けて、意味を掴みたいと思ってるところ。

それで、鮭が選んだのは、この三次を経ての本選のマサルの演奏だよね。この曲は映画の予告編でも使われてたね。私、三次予選で燃え尽きたのか、それ以降はさらっとした印象だったな。どんな描写だったっけ?

 

鮭の3曲目▶︎プロコフィエフ「ピアノ協奏曲 第三番」/マサル

 

鮭:マサルが自分の音楽に対する考えを回想してるんだけど、この世界観が心地よくて。

<生物でもなんでも、進化というのは爆発的に起きるらしい。ある日突然、進化の大爆発が起きて、多種多様かつ「オリジナル」なものがいっぺんに現れる。徐々に、ではなく、同時期にすべてが出揃うのだ。

 それと同じことが、ある時代、音楽の世界において、突然起きたのだ。>

音楽の進化と人類の進化を重ね合わせているのがいいなと思うし、真正面から音楽をわかろうとしている感じが好き。

<音楽。それはたぶん、人間を他の生物とは異なる、霊的な存在に進化させるために人間と一緒に生まれ落ちてきて、一緒に進化してきたのだ。>

<人間という存在にほんの少し、地上の重力のくびきを逃れるための、何かを付加するとしたら。

 それは「音楽する」ということが最もふさわしいのではないか>

この壮大な感じが、音楽をやっていくって決めてるマサルの人生と重なる気がしたよ。

 

梅:こういうことを演奏しながら考えられるだなんて、ほんと天才だわ。マサルは、コンクールでどう自分を見せるかって冷静に戦略を立てる描写もあったけど、音楽そのものにすごく深い情熱があるよね。

 

鮭:そうなの! 最初読んだとき、マサルはザ・音楽エリートって感じがしてあまり好きになれなかったんだけど、今回好きな音楽描写を3曲選ぶ中で、2曲をマサルが占めてて。あ、私マサル好きだったんだって気づいた(笑)。

 

梅:映画でマサルを演じた森崎ウィンも良かったな。今回、音楽描写に注目して読み返して、改めて音楽と文学表現って相性がいいのかなって思ったよ。音楽を描いた小説なんだけど、音楽を超えた、壮大なものを見せてもらったという感じだなあ。あとこの物語は読んで終わりじゃなくて、読んだら実際にどんな曲か聴かずにはいられないよね。この物語によってクラシック音楽業界の裾野も広がったんじゃないかなあ。

 

鮭:うん、私自身「蜜蜂と遠雷」を読んでクラシック音楽の楽しさにやっと気づいたという感じ。自分でも曲のイメージを表現してみたくなったし、音楽に触れたいって気持ちになるすてきな物語だったね。

投稿者: おむすびブックス

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