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2020.7.11 週末おむすびチャンネル vol.10

『戦争とおはぎとグリンピース』感想編 週末おむすびチャンネル vol.10

『戦争とおはぎとグリンピース』(西日本新聞社 編)は、新聞の女性投稿欄に寄せられた42編の作品を収録した一冊。おはぎを作ったり、グリンピースを煮たり、日常のささいな出来事から戦争の記憶がよみがえります。個人の物語は、今を生きる私たちに何を問いかけるのか。前回のおすすめ編を経てこの本を読んだ鮭が、梅と感想を語り合いました。

 

梅(おすすめした人)

鮭(読んでみた人)

前回の『戦争とおはぎとグリンピース』おすすめ編はこちら

 

鮭:電車の中でちょこちょこ読んでたんだけど、途中で泣いちゃったよ。

 

梅:そっか! 例えばどれ

 

鮭:タイトルにもなってる「おはぎ」(おはぎ好きの次男に教育招集の令状が届いて南方に出征したお話)がもう。終戦後「南方からの帰国船がつくたびに、わたしはイソイソとおはぎを胸にかかえてでかけるのでしたが、むなしくまたおはぎをかかえて帰るのが常でした」って一文で、ううって。投稿者がどれだけ次男の帰りを待っていたかと思うとつらすぎて。ただ迎えにいくだけじゃなくてイソイソと毎回おはぎを持って行ってたってところがまた……。

 

梅:私もその一文、すごく響いた。

 

鮭:当時こういう人たちがたくさんいたんだと思うと本当にやるせない。またその後、人から聞いた次男のエピソードもおはぎに絡んでて……。

 

梅:どんな思いだったかと想像するとね。

 

鮭:うん。想像を絶するつらさだったと思うけど、でもどの話もすごくリアルだった。一つひとつの話は短いんだけどその中に思いや情景がぎゅっと詰まってて。やっぱり食べ物とか台所道具とか身近なものがたくさん出てくるからかな。

 

梅:うん、暮らしの中に戦争があった感じがわかるよね。

 

鮭:本を読んだあと、電車の中にいた高齢のおじいさんとかに戦争についての話を聞かせてくださいって声をかけたくなっちゃった。子どもの頃の話とか直接聞きたくなって。それだけ身近な、遠い昔の話じゃないんだっていうのを実感したよ。

 

梅:ほんと、みんなそれぞれにエピソードがあってね。巻末の児童文学作家の村中李衣さんの文章、どうだった?

 

鮭:すごいよかった。「おはぎ」もわたしは泣いて終わっちゃったけど、村中さんの「投稿を読んで」には、「人が哀切の傍に置くものは、かくもささやかであり、ささやかだからこそ誰にはばかることもない情愛を惜しみなくこめることもできるのでしょう」ってあって。本当にその通りで、村中さんの文章で気づくこともたくさんあったな。

 

梅:ほんとそうだよね。

 

鮭:おすすめ編で梅に教えてもらった「竹やりの先の出刃包丁」(玉音放送を聞いたあと家の入り口に立てかけていた、出刃包丁のついた竹槍がこっけいに見えたというお話)も「投稿を読んで」に「洗脳から解かれたように物事の本質とようやく向き合えるようになったということでもありますね」ってあって、ああそっか、本質が見えなくなってたんだって理解した。やっぱり出刃包丁がついた竹槍が家の入り口にあるのはおかしいよね……。

 

梅:当時は包丁なんて貴重品だろうし、台所で使いたいよね。

 

鮭:あと好きだったのは「じゃがいも物語」。家族のじゃがいもにまつわる話がいくつか紹介されるんだけど、シベリアに拘束されていた息子のつらい話を挟んで「じゃがいも」っていう言葉の重みが変わるのが印象的だった。みんな本当に文章が上手だね。イメージしやすいというか。この「じゃがいも物語」も「さわやかな初夏の夕風にそよ吹かれながら、ひとり、じゃがいもを掘っていると」っていう書き出しですぐに引き込まれたよ。

 

梅:うんうん。

 

鮭:それと「タマゴのじいさん」(他のお店が安くても高くても決して値段を変えない卵売りのおじいさんのお話)もよかった。おじいさん、「西南の役」から5回も戦争にあったって言ってて。戦争って、第二次世界大戦のことばかり思い浮かべがちだけど、国内でも争ってたんだよなあってハッとした。昔はこんな感じで身近な人と戦争の話をしていたんだよねきっと。この話を読んで、私も直接聞いてみたいなって思ったんだ。

 

梅:もう戦争の話を直接聞くことは難しくなってきて、戦争のことをどう継承するかって問題があるけど、もしかしたらVRとか最新技術で戦争を追体験するよりも、この本に書いてあるようなちっぽけなエピソードから伝わってくるものがあるのかも。

 

鮭:うん。普通の人たちが戦争をどう思っていたかが少しわかった気がする。

 

梅:前回の『ある晴れた夏の朝』(小手鞠るい 著/偕成社)で原爆肯定派だったエミリーが、国家総動員法の元にあった日本人は全員が兵士だったって主張してたけど、この本を読んでたら、そうはきっと思わなかったと思うし、でも逆もそうだよね。アメリカにもこういうエピソードはあって。戦時中は「鬼畜米英」って教えられてたけど、アメリカにはアメリカの市民のささやかな暮らしがあって。「戦争とおはぎとグリンピース」じゃなくて、「戦争とパンとコンスープ」みたいに……

 

鮭:ああ! ほんとそうだね。

 

梅:どっちも同じ心を持った人間が日々暮らしてて、でも戦争に巻き込まれて、それでも日常は続いてて。敵国だったアメリカでも、人々はご飯を食べて日々しのいでて、早くこんな毎日終わらんかな、みたいなこと考えてたかもしれない。あ、でもアメリカは戦争に勝ったから、日本みたいに、忍び難きを忍び、みたいな世界じゃなかったのかな。

 

鮭:どうなんだろう……でもきっと多かれ少なかれ戦争中はどの国も同じようなことあったんだろうな。どの国にも普通の暮らしがあって。

 

梅:だからやっぱり、一部の権力者たちが決めたことに、ささやかに暮らしてた国民が巻き込まれて、殺されたり、殺させられたり……ほんとなんてことしてくれたんだって思うよね。

 

鮭:うんうん。「愛国心」って投稿に「真の愛国心とは、国土を愛し、国民を愛することだと思います。もっと身近な言葉でいえば、吾々の田畑を愛し、吾々の生活を愛し守ることではないでしょうか」ってあってほんとその通りだと思ったよ。愛国心って聞くと国への忠誠心って思いがちで、この投稿の中でも「過去の愛国心は、(略)真の愛国心とは全然逆な生活の破綻でした」って言ってるんだけど。それで思い出したのが、養老孟司さんが前テレビで話してたことで、戦争経験者はそれまで信じてたことが180度変わっちゃうってことを経験しているから、物事の本質をちゃんと見るようになるって。養老先生は確か小学生のころに戦争を経験してるんだよね。

 

梅:ああ、その世代の人たちは、新聞が言ってることを本当にそうなのかって疑ったり。

 

鮭:うん、本質を見る目っていうのはこの本全体的に感じたな。みんな洞察力が鋭くて、再軍備とか世の中の不穏な空気に敏感に反応していて。そういうアンテナが働くのは、二度と起こしてはいけないっていう強い思いもあるし、信じてた事がひっくり返るっていう経験をしてることもあるのかなって。なんか、そんな経験がない私たち世代は甘いって言われても仕方ないのかなあってちょっと思ってしまったよ。

 

梅:投稿で10代の子も日常を観察して、すごく鋭いこと言ってるよね。我々世代は、というか私がだけど、もの心ついたときから政治に関しては汚職とかいろんな不正のニュースに触れて、もう諦めてるようなところもあるかもなあ。それがダメだな。

 

鮭:どこまで国にコントロールされてるのかとか、それももうわからないよね。何も信じられない、信じちゃだめだってどこかで思ってるのかも。

 

梅:都合のいいように歴史が改ざんされる可能性だってあるよね。だからちゃんと知るには、市井の人の声に耳をかたむけるってことなのかな。それで、ちゃんと知るためには、身近なこととして感じられる実感というか、手触りみたいなものが欲しいなと思うんだよね。

 

鮭:ああ。

 

梅:だから本を読んで、エピソードを拾い集めているのかもしれない。

 

鮭:なるほど! 戦争関連で読む本ってこういったのが多い?

 

梅:そういうわけでもないんだけど、本を読んで自分の中に残るのって、私は結局感覚的なものなんだよね。例えば、前に紹介した『浮浪児 1945-』(戦争で家族を失った子供がどう生きたかを追ったノンフィクション。石井光太著/新潮社)も、すごく丁寧に取材されてて詳細なデータも示されていたけど、鮭に内容を話そうとして思い出したのは「上野駅で子どもが寝泊まりして朝冷たくなってた」とか、「ヤクザにご飯食べさせてもらってた」とか、自分の心が動いたエピソードだなあと気づいて。感覚で知ったことって、時間がたっても、自分が体験したことと同じくらいの鮮やかさで記憶に残る気がする。

 

鮭:その感覚で知るって話、実は前聞いた時はあまりピンと来てなくて。でもこの本を読んだ今、同じ話を聞いていてようやくわかったよ。感覚で知るっていうことと、頭で知るっていうことの2つがあるんだね。

 

梅:たしかに。例えばわかりやすく整理された事実は「なるほど」ってすんなり理解できるけど、意外とあっさり忘れちゃう。でも本を読んで「ああ、こんな感覚だったのか」ってハッとする感じ、それは残る。

 

鮭:私が電車でこの本を読んで目の前の高齢者に話を聞きたくなったっていうのも、もっと感覚で知りたいんだと思う。『浮浪児』を読んだ後に、いつも降りてる上野駅の景色が全然違って見えて。今はこんなきれいになってるけど、地下道でたくさんの浮浪児たちがぎゅうぎゅうになって雨風凌いでたって想像したら心がぎゅっとする。そういうのが感覚的に知るってことなのかな。

 

梅:うん。私はそういう体験を積み重ねて、自分のものの見方を新たにしていきたいっていう気持ちなのかも。ちょっと話は逸れるけど、小川洋子さんが『物語の役割』(ちくまプリマー新書)の中で、人間が受け入れがたい現実にぶつかった時、無意識のうちにその事実を変えて、心の中に受け入れられるように変えて物語にする、それが人間にしかできない心の働きなんだっていうことを書いていて。物語って作家の創作として存在しているんじゃなくて、普通に生きている人の心の中に、経験してきたものが物語として積み重なっているんだなあって。それで『戦争とおはぎとグリンピース』に出てくるエピソードも、投稿した人たちの物語になっているんじゃないかな。

 

鮭:ああ。それって最後、村中さんの「ことばを生きた女性たち」っていうあとがきに出てきた「和男」の話にも通じる気がする! 長男の「和男」を引き揚げの途中で雪山に置き去りにしてきた悔恨が書かれた投稿の話。あまりにも衝撃的な内容だったからこの本の編集者が50〜60年越しに遺族に事実確認をしにいったら、引き揚げの話は本当だけど、家族に和男という人物はいなかったって。それって一見投稿者が事実を脚色したことにはなるけど、でも本人は10年っていう時間をかけて心の中に和男を作り上げて、そうすることで現実を受け入れていったのかもしれない。投稿文を書く中で当時自分が感じた気持ちを伝える手段として架空の和男を登場させたのかもしれないし。

 

梅:うん、たしかにそうだよね。

 

鮭:村中さんのあとがきでは「もしかしたらUさんは、引き揚げの時の忘れがたい記憶の中で、わが家族の子どもたちだけでなく、共に『重い足を引きずり』歩いた430人の引き揚げ者の中にいたすべての子どもたちの母でもあったのではないか。『和男』はだから、架空の人物でなく、戦争によっていのちを奪われた幾千万の『和男』だったのではないか」って言ってて。真実ってもちろん事実がどうだったかっていうこともあるけど、それだけじゃなくて、人の感情とかふとした瞬間とか、そういう目に見えている以外のところにもあるんだよね。

 

梅:そうか、この本の投稿は、その人が現実を受け止めて表現された文章であって、その奥には、例えばもっと悲しいことがあるかもしれないんだよね。私たちはその人の言葉を通して、その奥にある現実に触れることができる、文章から想像して、感じることができるんだ。

 

鮭:まさに物語の役割だ。感覚で知るっていうか。

 

梅:そうそう、「1945年8月15日終戦」ってただ暗記するだけじゃ意味がない。でも、物語によってその事実に血が通うというか。

 

鮭:B29とか焼夷弾って聞いても見たことがないから想像しづらい部分もあるけど、お茶碗とかようかんとかっていう身近な単語で語られると、なんかこう心に響く。あ、「わが家の茶わん」っていう話も好きなんだけど。

 

梅:模様のないお茶碗が戸棚にある話!

 

鮭:そう、今は柄付きのお茶碗を使っているけど、戸棚の上には戦争中に配られた白いお茶碗がずっと並んでるっていう。何気ないシーンだけどリアルに想像できてすごく心に響いた。物語はほんと細部にこそ宿るんだなと思ったよ。しかもこれを書いたのが中学生だったからまた驚きで。

 

梅:でもさ、戦争に関心がない人もいると思うんだけど、そういう人はこの本を読んでどう思うんだろう。本を読んで、戦争の手触りを感じるって、それって……今どんな意味があるのかな。

 

鮭:私、結構最近までそっち側だったと思う。梅がおむすびブックスで戦争関連の本を仕入れてて少しずつ興味を持ってきたけど、積極的に読もうとまではしてなかった。

 

梅:そっか、じゃあ鮭の中では戦争っていうのは、過去の出来事っていうか。

 

鮭:うん、いつかちゃんと知らなきゃって気持ちはあったけど、昔は大変だったんだよなあってくらいでちゃんと知ろうとしてなかったな。でも『ある晴れた夏の朝』を読んで興味を持って『戦争とおはぎとグリンピース』を読んでさらに感覚で知るってことがわかってすごくよかったよ。

 

梅:そうか、これは本屋さんの可能性みたいなことに繋がるのかな。おむすびブックスの並びひとつでも、へえ、こういう本を選んでるのねってところから広がるものがあるのかも。

 

鮭:あると思う。あと、私の場合だけど『ある晴れた夏の朝』の後に『戦争とおはぎとグリンピース』っていう読む順番も大きかったな。頭で考えてみてから感覚に落とし込む感じ。おはぎ的な話も本やテレビでちょろちょろ見かけたりはするんだよね。

 

梅:そう、例えば社会の資料集とかに載ってると思う。

 

鮭:うん、でもそれって一回頭の中で戦争について考えてないとなかなか心まで入ってこない気がする。私は『ある晴れた夏の朝』で原爆の是非で気持ちが揺れたけど、それって無知だったし感覚でわかってなかったっていうのもあるなと思って。あそこで一回梅と話して考えることができたから今回の本を読んで感覚を知れたし、感覚で知ることができたから戦争も原爆も絶対だめって思えるようになったんだと思う。

 

梅:また戻るんだけど、つまり鮭も興味が高まってたタイミングで読んだんだよね。そうじゃない人にとってこの本はどう映るんだろう。今、こういった本を読む意義ってなんだろうね。

 

鮭:うーん、自分と同じ普通の人たちの気持ちを知ったら、そんな辛い思いをした戦争なんてこの先もうやっちゃだめだって思うんじゃないかなあ。

 

梅:戦争をしたら、暮らしがどうなるか想像がつくのか。

 

鮭:うん。どんな影響があるか細かいところまで想像力が働いたら、トラブルが起こっても戦争しないで解決する方法を一生懸命考えるんじゃないかな。放っておいたら歴史は繰り返しちゃうから繰り返さないためにアーカイブも必要で。

 

梅:そうだね、まず俯瞰した知識があれば、今の政治をちゃんと監視できる。諦めちゃうのは、まず自分がよくわかってないからだもんね。それに加えて、戦争の手触りを感覚に刻むというか、戦争したら生活がどうなるのか、自分の感覚で知っておくってことなのかな。

 

鮭:うん。やっぱり頭だけでわかってることって簡単に反転する可能性もある。私が『ある晴れた夏の朝』を読んでそうだったように、違う意見を聞いてああそれもそうだねってどんどん流されちゃう場合もあって。でも感覚でわかっていれば強い気持ちで主張できるなって思ったよ。だから、ちゃんと手触りとして知っておくことはそういう意味でも大切なんだろうな。

 

梅:逆に感覚だけだったら、「愛する人のために」とかいって道徳観とか倫理観を過剰に煽られて、悪用されるかもしれない。だから、知識との両輪が必要なんだ!

 

鮭:そうだね。歴史も学ぶべきだし、人の感情も知る必要があるし。

 

梅:やっぱりその時、本ってすごく入り口になるよね。物事を知るにあたって、ネットサーフィンだと、あらぬ方向に行っちゃう可能性もあって。検索してるうちに気づいたらテロリストに誘われてるかもしれない。本って一冊で完結するから、一つずつ段階を踏むように読んでいけるよね。本を一冊読んだら、次はどの本かなってワンクッション置いて、そのあいだに自分の中で読み終わった本の世界を反芻できる。そういう知識の得かた、感じかたで現実と出会っていく、そのいい出会いの場としての本屋さんになれるといいよね。

 

鮭:うんうん。ネットサーフィンだとどこに行き着くかわからないけど、本はちゃんと終わりがあるからそこもいいなと思ってる。本ってすごく手間をかけて作られてるし、それだけ考えがまとまってるし。そういう、メッセージが込められた一冊一冊を大切に選んでいきたいね。

投稿者: おむすびブックス

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