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2020.6.12 週末おむすびチャンネル vol.6

『園芸家の一年』感想編 週末おむすびチャンネル vol.6

チェコの著名な作家であり、園芸をこよなく愛したカレル・チャペック。『園芸家の一年』は、チャペックの1年を通した庭づくりの様子がユーモアたっぷりに綴られたエッセイです。前回のおすすめ編を経て、今回はチャペックをはじめて読んだ梅が、鮭と感想を語り合う<感想編>をお届けします。

 

鮭(おすすめした人)

梅(読んでみた人)

前回の『園芸家の一年』おすすめ編 はこちら

 

 

鮭:どうだった?

 

梅:園芸への愛っていうか、もはや取り憑かれてる! 「園芸家の二月」に、「自分の土をなんとか改良したいという狂気じみた熱意が突如として湧いてくる」とあるけど、この本全体の印象もこれ。狂気じみた愛が一年中ほとばしってる感じ。趣味にここまで打ち込めるのはすごいよね。

 

鮭:うんうん。日常的にどハマりしてる感じだよね。

 

梅:ほんとに園芸のことばっかりで、考え方が極端なんだよね。園芸をするには足が邪魔だとか、自分の体が4本の手と帽子をかぶった頭だけだったらいいのにとか、自分の体も園芸を愛するあまり不満だらけで。こういう視点の偏りがおもしろかったな。

 

鮭:「この世に存在する物はすべて、土に入れていいものか、よくないものか、そのどちらかである」とかね。その二択はなかなか思いつかないよ。

 

梅:最初の「庭づくりの始めに」で茶色の土が残された状態を「天地創像の最初の日のようだ」と書いてあるところ、この本の冒頭だけど、ここを読んだときに「あっ、この人…!」って引きつけられた。素敵な本の予感というか。

 

鮭:私も「庭づくりの始めに」の「ホースは異常に手が負えない危険な動物である」っていう一文で、「あっ、これは絶対おもしろい本だ!」って思った。ホースをこんなドラマチックに表現するなんて。

 

梅:すごいね、ひとつめの短い文章で掴まれたよね、心を。

 

鮭:一文一文の密度が濃い。

 

梅:そうそう。大げさな表現がいろんなところに出てくるんだよね。「園芸家の十二月」でも、カタログを見ながら次に植える植物をリストアップしたあと、多すぎるから削らなきゃいけないって時に「今回はあきらめるべきものを、血まみれの心臓をかかえた思いで、棒引きしはじめる」とかね。心臓、血まみれなんだよ。もう大変!

 

鮭:文字通り、命をかけたっていうのがこれまたね……。

 

梅:前回鮭が言ってたけど、園芸が原因で亡くなったんだよね。

 

鮭:そうなの、寒い日に庭の手入れして肺炎になっちゃって。でもここまでやってても、本人はあくまでも自分は素人園芸家って言ってるんだよね。

 

梅:本の中でも、素人園芸家とプロの園芸家を明確に使い分けてるよね。あと、園芸のことしか頭にない、視野の狭さがおもしろみにつながってるのかなと思ったんだけど、一方で自然描写はすごくスケールが大きいんだよね。「恵みの雨」のところ、実はこのあたりでちょっと眠くなって読み流しかけてたんだけど、一気に目が覚めた。

 

鮭:ああ、「五月」のあとの小エッセイ。

 

梅:待ち望んでた雨がやっと降ったところ、「恵みの雨。ひんやりとした水の与える悦楽! わが魂に水をあびせよ、わが心を洗え、きらめく冷たき露よ」とか、「ひびけ、乾いた大地が雨のしずくに打たれるときの、銀鈴にもたとうべきキスの音よ」とか。雨を讃える描写が詩みたいで。

 

鮭:宝塚みたいだよね。雨の中両手広げてスポットライト当たってる姿が目に浮かぶ。

 

梅:ふふ。確かに歌ってそう。劇作家だからかな。こういう台詞じみた感じの。

 

鮭:あ、それありそう! 「恵みの雨」は、宝塚のあと急に現実に戻ってきて、住人と「いい雨でしたね」って言い合う、その温度差も好き。

 

梅:私、同じように圧倒されたのが「芽」なんだけど、ここは文章の一言一句が、すごく響いた。この本の中で一番好きだったな。春が来て、芽ぶきの様子を行進曲に例えてるんだけど、「書かれざる行進曲のプレリュードよ、開始せよ!金色の金管楽器よ、日に映えよ。響け、ティンパニ。吹きならせ、フルート。無数のヴァイオリンたちよ、めいめいの音のしずくをまき散らせ。茶色と緑に萌える静かな庭が、凱旋の行進をはじめたのだから」もう、壮大なクラシックが聞こえてきそうな感じ。この部分、あまりに感動して書き写しちゃった。

 

鮭:書き写したんだ! 私、「芽」はなんか「おもちゃのチャチャチャ」を思い出すんだよね。色んな植物の芽が行進してる様子がおもちゃと重なる……。

 

梅:そうなんだ! 私は万物に光が降り注ぐような神々しいイメージだったかも。春の芽吹きがほんとにドラマチックに描かれてるよね。春になって樹木が芽吹く直前の状態を、「号令のようなものを待っている」って、そこの例えも確かにそうだと思った。「その号令がかかった瞬間に、すべてが一気に芽ぶいて、春の開幕となる」って。

 

鮭:「春の開幕」って表現いい! まさに劇的ね。

 

梅:すごいスケール感で書いてるんだよね。

 

鮭:ファンファーレが聞こえてきそう。

 

梅:私、なんで「芽」にこんなに感動してるんだろうって考えてみたんだけど、たぶんそれは、今の時期に読んだから胸にくるものがあったんだと思うんだよね。というのも、今年の春っていままで経験したことのない毎日だったじゃない? コロナでずっと緊張しながら家の中で過ごしていて、春の訪れを感じる余裕がなかった。気づいたら連休が明けて、山の色が変わってて、一気に夏がきた感じで。だから「芽」を読んで、こんなに最高な文章で春の訪れを感じさせてくれてありがとう、みたいに思ったのかも。

 

鮭:ああ!

 

梅:いつもだったら、ちょっとずつ桜の蕾が膨らんできたなとか、お花見はいつにしようかなとか考えたりするけど、それどころじゃなかったもんね、この春は。

 

鮭:そっか、今こそこの本いいかもしれないね。たしかに今年の春は自然に飢えてるなあ。鉢植え2つも買っちゃった。

 

梅:鉢植えいいね。そう、別に遠くに行かなくても小さな場所を定点観測するだけで、壮大な変化に出会えるんだよね。「芽」に書いてあったけど、「それぞれの相違を見つけたかったら、小さな土地を選ばなくてはいけない」って。今の時期にこういうことを知ると、なんだろう、ちょっとでも豊かに生きていけるというか。

 

鮭:うんうん、鉢植えだっていいんだよね。

 

梅:そうそう!なんなら豆苗育てるだけでも。

 

鮭:豆苗育てたらチャペックどう表現するだろう。

 

梅:ティンパニーが響くのかな(笑)。

 

鮭:1本ずつ擬人化して、それぞれの成長を綴ったりとか?(笑)

 

梅:見てみたいね。あとはね、「八月」はもう大好き。笑っちゃった。これコントだよね。過剰な人と普通の人がやりとりするコント。

 

鮭:「八月」ほんとおもしろいよね! 「こういう人いるよね〜」って感じで、客観視もしてて。

 

梅:ああ、確かに客観視がないと書けないね。

 

鮭:しぶしぶバカンスに出かけるから隣人に「3日に1回見まわってくれるだけでいい」って言って庭を託すんだけど、結局毎日手紙を出して旅先で入手した草花まで送って「あれしてくれこれしてくれ」って(笑)。隣人、頑張ってお世話してたのに、いざ帰ってきたら心の中で「私の大事な庭を台なしにしやがって」って悪態ついて。書いてないけど、隣人の「いいかげんにしろ」っていう締めのツッコミが聞こえてくるよ。

 

梅:チャペックが隣にいたらちょっと距離を置くわ。

 

鮭:ね。ちっとも花を楽しんでないし。

 

梅:そう、花を愛でてる余裕がないんだよね。園芸ってもっと心癒さるものというか、のんびり庭を眺めるのが楽しいのかと思ったら、めちゃくちゃ取り憑かれてるもんね。

 

鮭:そうそう、本人も「真の素人園芸家は、花を育てる人間ではないことに気がついた。素人園芸家とは土を育てる男なのである」って言っちゃってる(笑)。

 

梅:あとね、鮭は翻訳が読みやすいって言ってたけど、私は飯島さんの訳がちょっと読みづらく感じるところもあったの。それで他の人はどう訳してるんだろうと思って、栗栖茜さんの訳(『園芸家の十二ヶ月』海山社/2013年)と、小松太郎さんの訳(『園芸家12カ月』中公文庫/1975年)を読み比べてみたんだよね。そしたら栗栖さんの訳がいちばん丁寧に説明している印象だった。

 

鮭:そうなんだ! おもしろい。読みづらかったのってどのあたりだろう?

 

梅:「園芸家の一月」の冒頭で、私が突っかかったのが、「一月に園芸家は主として、天候の手入れをする」ってところなんだけど、「天候の手入れをする」ってどういうこと? って思って止まっちゃって。栗栖さんは、ここを「一月といえば園芸家はお天気にあれやこれやと振り回され通しだからです」って書いてあるんだよね。

 

鮭:そんなに違うんだ。丁寧だね。

 

梅:そうなの。小松さんの訳は飯島さんに近くて、「天候の手入れ」って同じ表現をしてた。「天候の手入れをする」と「天気に振り回される」って、もう向き合い方が全然違うじゃん。栗栖さんは、わりと自由に解釈をくわえながら書いているのかなあって。

 

鮭:へえ。ユニークな表現のところはどんな感じ?

 

梅:例えば「庭づくりの始めに」で、毎日手入れをしていても雑草が生えちゃうっていうところで、「三週間後には、アザミと、這いまわったり地中深く根を張ったその他の悪の権化が、芝生の上一面にびっしり生い茂る」ってあって、私は「悪の権化」っていう表現がいいなと思ったんだけど、栗栖さんの訳はそこを「たちの悪い雑草」って書いてるの。

 

鮭:ああ。なるほど!

 

梅:小松さんの訳は「悪」っていうニュアンスそのものがないんだよね。

 

鮭:比較おもしろい! 最初のホースのくだりはどんな感じ?

 

梅:鮭の言ってるのは「しかし、すぐにわかるが、飼いならされていないかぎり、ホースは異常に手に負えない危険な動物である」の一文だよね。

 

鮭:そうそう。

 

梅:えーっと、栗栖さんがここをどう訳してるかというと、「ホースはよほど使いなれていないと、まるでとてつもない悪知恵の働く、危険な野生動物のようです。」って書いてある。

 

鮭:へえー! 野生動物って言ってるんだ! ちゃんと説明してくれてるんだね。

 

梅:飯島さんの「飼いならされて」という言葉が「危険な動物」にかかってて、その表現がおもしろいんだけど、栗栖さんの訳にはそのニュアンスはないよね。私は飯島さんがいちばん好きだったな。説明しすぎちゃうと、おもしろみはね。

 

鮭:うん、ちょっと減っちゃう気もするな。最初に栗栖さんの訳で読んでたらチャペックの印象も変わってたかも。飯島さんは原文の雰囲気を壊さないように訳してるのかな。

 

梅:飯島さんは私は確かにスラスラと読めないころはあったんだけど、でもリズムがいいっていうか、言葉の置き方がいいよね。すっと読めるからおもしろいかというと、そこは違うんだね。

 

鮭:うんうん。さっきの宝塚みたいなところの描写はどう?

 

梅:例えば「恵みの雨」では、栗栖さんは「恵みの雨です。冷たい雨水がこれほどのよろこびを与えてくれるなんて! 輝く、冷たい雨の水よ。わたしの魂をすっかり浸し、心を洗い清めておくれ」とある。

 

鮭:ああ、劇的にはなってるんだ。

 

梅:単語の選び方が、飯島さんは「悦楽」とか「悪の権化」とか、キュッと固まってコンパクトかつユーモアがあるというか、そんな感じはする。

 

鮭:そっかあ、こんなに違うんだ。翻訳って大切だ。

 

梅:翻訳文って、人によって訳し方は変わるし、解釈も変わるんだっていうのが発見だったな。私は本を読むとき訳された日本語が全てと思ってしまうけど、その文章の奥には当然だけど原文があるんだよね。訳文をそのまま受け止めるんじゃなくて、あくまでこれは翻訳家の感性を加えて訳したものなんだっていうことを頭に置いて読んだほうが、私の場合はもっと楽しめるのかなと思った。

 

鮭:うんうん。チェコ語は全くわからないけど、原文も読んでみたいな。

 

梅:『帰れない山』が楽しみだな(注:読書家Yさんにおすすめしてもらったイタリア文学。「週末おむすびチャンネル」の課題図書として待機中)。私、外国文学をあんまり読んでこなくて、自分に読みこなせるかドキドキしているところがあるんだけど、でも、翻訳文学に向き合うヒントを今回の読書でもらったような気がする。

 

鮭:ほんとだね。翻訳家についても興味でてきた!

 

今回読み比べてみた、栗栖茜訳の『園芸家の十二ヶ月』(海山社)と、小松太郎訳の『園芸家12カ月』(中央公論社)

 

投稿者: おむすびブックス

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