slide_show

2020.8.2 週末おむすびチャンネル vol.13

『のどがかわいた』気になる本を読んでみた編 週末おむすびチャンネル vol.13

今回は、梅・鮭の二人が気になっていた本を読んでみます。選んだのは、2020年3月に発行された『のどがかわいた』(大阿久佳乃著/岬書店)。2000年生まれの著者が自分の言葉で、詩や本のこと、日常をつづった一冊です。

 

 

梅:『のどがかわいた』はSNSで見かけて、読みたいと思ってたんだよね。

 

鮭:私も気になってた!

 

梅:この本は3部構成になってて、1章の「詩ぃちゃん」は著者の大阿久さんが高校生の頃から、詩を読むことをテーマに制作してきたフリーペーパーの原稿、2章「限りない」と3章「時間への愛着」が書き下ろしのエッセイになってる。

 

鮭:読んでるうちに中学高校の頃を思い出しちゃった。ひたすらに「みんな嫌い!」って思ってたなあとか。

 

梅:私も読んでて苦しかった! 大阿久さんは学校に馴染めなくて高校を中退してるんだよね。その時の葛藤も書かれていて。大阿久さんは今まだ20歳で、中学の記憶も高校の記憶も生々しい。でもそんな大阿久さんの文章が素晴らしかったな。

 

鮭:うんうん。10代のモヤモヤをこんなしっかり分析して表現していてすごい。

 

梅:なんかね、この本の感想は難しいぞって思いながら読んでたよ。自分がこの人の感性に誠実であるために、どんな言葉で語れるだろうかと。大阿久さんの感性について語るには、私の語彙があまりに貧弱だし、もはや自分は歳をとりすぎているというか…

 

鮭:読む年代によっても感想が変わるような。

 

梅:ほんとに。同世代の子は勇気づけられるのかな。

 

鮭:うん、私が10代の頃に読んでたら、大阿久さんに手紙を書くくらいの勢いで救われてた気がする。

 

梅:大阿久さんは高校生で『詩ぃちゃん』を書き始めたけど、この頃って何を考えるにしても、興味は自分に向かってたと思う。でも大阿久さんは詩を人に紹介したいって外に向かって視野が開いてるところが素晴らしいな。ちゃんと詩を広めるために文章を書いている。

 

鮭:ほんとだね。詩って感覚的でおすすめしづらいと思っていたけど、よくぞこんなにも自分の言葉で紹介できるなと思ったよ。

 

梅:ほんとにそう。

 

鮭:哲学の本をよく読んでいたってあったけどそういうことも関係するのかなあ。

 

梅:あとは身近に詩があったからなのかなとも思った。「詩のたのしみ」という項目でも、「詩人の言葉は、思考に油を注すものなのではないか、と考えています」と書いてあって。詩を読んで、自然に思考を鍛えてきたのかなあ。

 

鮭:ああ。 思考に油をさすっていう表現もいいね。

 

梅:ほんとにね。あと1章で、「私は『これは他人が読むものだ』と意識すると、どうも書くべき“感じたこと”や“思ったこと”より、“感じたかったこと”、“思いたかったこと”を書こうとしてしまいがちになるようです」と書いてあって、なんて書くことに誠実な人なんだろうと思った。それを自覚してるだけでもすごいことだと思う。

 

鮭:うんうん。その少し先の「本音を捉まえておくのも同じくらい難しい。文章にこだわろうとするほど、途中で本音がころころ転がって、そのままどこかにいってしまうように感じる時があります」っていうところもいい。本音がころころ転がるっていう表現がまた。

 

梅:うん、詩的だよね。書いてることもすごくわかる。書くうちに本音って転がるんだよね。私も何度行方不明になったことか…

 

鮭:そうなの。「本音が書けない」じゃないんだよね。転がるからいつも捉まえに行かないといけない。この文を読んで、思ったことはちゃんと書き留めていこうって改めて思ったよ。自分の本音を知るためにも、まず書かないと転がることも捉まえることもなく消えていっちゃうから。

 

梅:1章の「詩ぃちゃん」は、9人の詩人が紹介されているよね。私は茨木のり子さん以外は初めて知る詩人ばかりだったよ。なかでもポール・エリュアールが気になって、読んでみたいと思ったな。

 

鮭:ポール・エリュアール、梅好きかもって思いながら読んだ!

 

梅:あ、ほんと!? 

 

鮭:「“生きる”とか、“自由”とか、“権利”といった単語が散見される」ってあったり、最初の詩集が第一次世界大戦に参加してる途中に刊行されたって書いてたからかな。

 

梅:ポール・エリュアールについて、「読み終えた頃、自分が言葉の閉塞感から解き放たれていることにふと気づく」って書いてあって、どんな詩なんだろうってすごく読みたくなったんだよね。

 

鮭:そっか! 私は、粕谷栄市とあと、フランシス・ジャムを読んでみたいと思ったよ。

 

梅:あ、フランシス・ジャムは2章で大阿久さんが最近初めて読んだって書いてあった人!

 

鮭:「彼の詩は、言葉と詩人とのあいだを伝達する何か(=意味?)の速度が速い、ということがある(略)素直で速度の速い言葉が自然や人々の広々とした光景をつくっているのである」ってあって、速度の速い言葉っていうのが興味深くて。引用されていた「秋が来た」っていう詩も、全てをそのまま受け入れてる感じがしてよかった。

 

梅:フランシス・ジャムの紹介で「私は近頃、なんだか生きていることが厳しくばかり感じられるので、この人の詩が私の心の一部になってくれればいいなあ、と思いながら読む」と書いてて、すごく共感したよ。

 

鮭:ああ、私もそこ線引いてた!

 

梅:ほんと!日常のふとした時に詩を思い出して、「思い出したときに、本当の詩の意味や本来のうまみを感じることがあるのです」って。

 

鮭:詩ってこれまで、好きな詩とかあっても「この解釈であってるのだろうか」とか考えちゃって楽しみ方がいまいちわからなかったんだけど、この文を読んで、そっか、そうやって気軽に楽しめばいいんだと思ったよ。

 

梅:そうそう。詩をふとした時に思い出すっていいよね。音楽みたい。

 

鮭:確かにそうだ、音楽だ!

 

梅:私は詩を読むことのハードルをあげすぎていたなあと思った。短い言葉から何かを感じなきゃいけないプレッシャーというか、感受性が豊かな人じゃないと味わえないんじゃないかと思い込んでいて。しかも思い出すからには一言一句間違えちゃいけないという気がしてた。でも、なんとなく、詩のエッセンスを思い浮かべるだけでもいいのかなって。

 

鮭:うん、わかる。

 

梅:茨木のり子さんの詩で、全文覚えてるわけじゃないんだけど、ふと「倚りかからず」を思い出すこともあって、そんなぼんやりした感じでも、詩の「うまみ」をちょっとは味わえてるのかな。

 

鮭:私も茨木のり子さんの「自分の感受性くらい自分で守ればかものよ」はよく思い出す。

 

梅:わかる!「ばかものよ」って自分を律するよね。

 

鮭:詩があることで、助けられたり支えられる気持ちはすごくわかるな。

 

梅:言葉が心に作用する力ってなんなんだろうね。

 

鮭:なんだろう…うーん、モヤモヤしていることを捉えて言語化する…お腹が痛いけど原因がわかるとホッとするみたいな感じかなのなあ?

 

梅:あと世の中を新たな見え方で捉えられるというか。エッセイとか長い文章よりも、短い言葉で純度を高めた表現に、救われたり勇気づけられたりすることがあるんだよね。

 

鮭:ああ、あるね! あと、単純にリズムとか言葉遊びの楽しさもあるよね。

 

梅:そうだね。中学生の頃だったか、図書室で借りた本で、くまのプーさんの作者の詩が載ってて、春の詩だったと思うんだけど、「春がきたんだだんだ」っていう言葉があったんだよね。それ以外は忘れちゃったけど、「だだんだ」ってリズムがおもしろくて、未だに春になると「ああ、春が来たんだだんだ、だなあ」って思う。

 

鮭:わかる! 詩ではないんだけど、私も小学校の教科書に載ってた『風の強い日』っていう物語のなかで、風が強い日にクジラが「くっちょいん」ってくしゃみをする場面があったの。そのフレーズがすごく印象的で、未だに風が強い日は「ああ、今日はくっちょいんだな」って思う。まさに言葉のリズム。

 

梅:日常のふとした瞬間に、言葉を味わってるんだね。

 

鮭:最近読んだ多和田葉子さんの『シュタイネ』(青土社)っていう詩集も言葉の感覚を味わう感じがしてよかったな。「納豆をかき混ぜる時/時計回りですか/それとも敢えて/逆回りにすると朝の手応えが/粘りと頑張り/裏側から/地球の飢餓が/箸にからみついてくる…」とか。リズムも情景も新鮮で。

 

梅:へえ、おもしろい!

 

鮭:言葉って、きちんと伝えようとすると、意味を持つ並びでちゃんと話さなきゃいけないけど、そうじゃなくて見たことのない並びやリズムで単語が並んで文章になってるのも新しい世界が広がっておもしろいなって思う。

 

梅:日常ってさ、言葉による影響が大きくて、特に今はツイッターとかLINEとか文字のコミュニケーションが格段に増えてるよね。でも言葉で構築された秩序ある世界を、詩が崩してくれて、ものごとの見方を自由にしてくれるところがあるのかも。

 

鮭:うんうん、言葉遊びができるのも詩のいいところだ。

 

梅:情報を得るための言葉じゃなくて、言葉のもつ芸術性みたいなところを重視するのが詩なのかな。

 

鮭:ああ、芸術性。言葉の可能性ってまだまだあるね。

 

梅:ほんとだね。

 

鮭:私、学生の頃穂村弘さんの短歌にはまった時期があって。それまで短歌って堅いイメージがあったんだけど、穂村さんの短歌を読んだとき、定型にもとらわれてなくて、これも短歌なんだ、すごい、自由だ!って興奮して、深夜だったんだけどテンションが上がって部屋の棚のあらゆる隙間に短歌を書き写した思い出ある。

 

梅:へえ!棚に直接書いたの? 紙に書いて貼るんじゃなくて?

 

鮭:そう。油性マジックで。「海の生き物って考えてることがわかんないのが多い、蛸ほか」とか。大学生の時はその棚ずっと使ってたな…。

 

梅:それは穂村弘の言葉に囲まれて生活したいってことだったのかな。

 

鮭:あ、そこまで深く考えてなかったかも(笑)。そのときはアドレナリンが出まくってその発散方法が棚に書くことだったんだと思うんだけど、でもアドレナリン出た原因は穂村さんの短歌だった…。

 

梅:ちょっと記憶がよみがえってきたんだけど、中学生の時とか、下敷きに歌詞を書き写してる子いなかった? 

 

鮭:書いてた!なんか、透明な下敷きに!

 

梅:そう、中に紙が挟める下敷きがあったよね。そこにドリカムの歌詞とか書いて…

 

鮭:いたいた!いたし、私もやってた気がする…!

 

梅:いや、私もやってたな。なんで忘れてたんだろう。 若い頃の言葉を拠り所にする感じってあるよね。

 

鮭:うんうん。

 

梅:歌詞といえば、大学を卒業するちょっと前くらいに、友達に田辺聖子の『ジョゼと虎と魚たち』を借りて読んだら、最後のページに、くるりの「ハイウェイ」の歌詞が書き写してあったんだよね。映画化された『ジョゼと虎と魚たち』の主題歌が「ハイウェイ」で。それこそ人生の新たな旅立ちの時期に「僕が旅に出る理由はだいたい百個くらいあって」って始まる歌詞が重なって、私の手書き歌詞の思い出ベストワンだよ。

 

鮭:わ、すごくいい話!くるりは 私も高校生の頃東京の大学受けようって決めて「東京」を聴いて士気を高めてたな。

 

梅:なんだろう、言葉が必要で、言葉に支えられる時期ってあるよね。今の子もそうなのかな。今はスマホのメモ帳とかにコピペして、それを時々読んで心の糧にしてたりするんだろうか。

 

鮭:ああ、形は違えどみんなそういうことをやってきているのかもしれないね。でも、なんで詩はハードルが高くて歌詞は身近なんだろう。

 

梅:うーん、言葉が音楽にのるから、より心が動かされやすいのかなあ。あと歌ってる人にもともとあこがれとか親近感があって、その人の届ける言葉だからっていう信頼があるからかも。

 

鮭:ああそういうことか!でも『のどがかわいた』のおかげで、いろんな詩を読みたくなったな。詩も気軽に読んでいいんだって思えた。

 

梅:うん。私も大阿久さんの言葉で詩の世界に触れられたのはすごくよかった。

 

鮭:この本によれば、『詩ぃちゃん』は大阿久さんがよく行ってた京都の古本屋さんが、書くことをすすめたんだよね。

 

梅:よくぞ、書くことに導いてくれて…

 

鮭:ね。学生時代に出会う大人って結構影響力大きい気がするな。私、子どもの頃のピアノの先生が映画や本が好きでいろいろ教えてもらったんだけど、いま思うと好きなものとか考え方の傾向、その先生の影響を受けてるなって思うことがあって。あと塾の先生、ちょっと変わり者だったんだけど、宇宙とか自然のことに興味を持ったのはその先生のおかげだったり。

 

梅:いい出会いがあったんだねえ。でもさ、その頃って学校とか習い事以外で大人と出会う機会がなかなかないよね。もっと接点があればいいよね。

 

鮭:ほんとだね。

 

梅:私は、おむすびブックスをはじめてから気づいたんだけど、10代の子に届いてほしいと思って本を選ぶ傾向があるんだよね。今、いろんなSNSがあって本を必要としてない子もたくさんいるとは思うんだけど、本を読んで楽になったり世界が広がることってあると思うから。

 

鮭:ああ。私も、本を読むことで一人っ子でもさみしくなかったし救われたっていう気持ちがあって、それをまた伝えていけたらいいなって思ってるよ。

 

梅:うん。今、10代の子と直接出会って関われるわけじゃないけど、多感な時期を言葉に助けられたいち大人として、本を届けて、本とつなげることができればいいな。

 

投稿者: おむすびブックス

back to top